1.e-Tax で悪戦苦闘
確定申告の季節がやってきた。根がケチだから、少しでも還付を受けようと古いカードリーダーを取り出してe-Tax に挑戦した。このホストシステムは過去2回挑戦し、難なく申告書の電子送信に成功している。今年はドッコイそう簡単に問屋が許さない。大事な送信ステージにおいて電子署名とか電子証明書の部分でエラーが出て進まない。同時に出されるメッセージも何やら意味不明で、何処をどう修正すればよいのか皆目検討がつかない。
やむなく断念し、郵送に切り替えたが、その時点で今まで記入した内容が全く役立たないことに気がついた。更に最後の印刷用のファイルにも保護が掛かっている。これには泣かされた。
ここに至って漸くこれは並みのトラブルではない、と気がついた。要するにこの3年間でセキュリティ・レベルが格段に厳しくなったという現実である。ネットの世界はウイルスに代表される悪意ある擾乱に溢れるようになった。従ってホスト側はそれだけネットアクセス者に警戒している。また当方も自動的に更新されるOS セキュリティ・レベルが頑強になった。つまりお互い猜疑心の強いシステムが交信しようというのだから、無事に済むはずがない。
そこでホストシステムの方の気持ちを読んでみると、ホスト側では来訪者が
① 悪意ある闖入者か
② 善意の訪問者か
全く判断がつかない。そこで少しでも疑いのある送信文書に対しては拒絶するのが無難、という否定論理が働く。
だから出される警告や診断メッセージが支離滅裂で、受信を拒絶された真の理由が全く判らない。それが送信者を混乱させて取りつく島もない。いくら改善努力をしてもそのポテンシャルが認められない。
2.同定(to identify)行為における否定論理方式
制御工学の中核をなす理論はサバネティック研究から出てきた学であるが、それは固定的な知識に拠らずして人間の根源的な認知方式に帰ろうという理念である。その根源的な認知方式とは肯定と否定の論理である。
つまり換言すれば、ある主体が意味不明の対象に遭遇した時、少々不明瞭な部分があるが、その対象全体を受け入れるか、或いは全体を拒絶するか、どちらが自分にとって有利かという命題である。
小生は学生時代に欧州を放浪したが、そこで中東や南米からきた大勢の留学生と出会った。その連中との会話の中で常に「ノン(否)」しか言わない学生がいるのに気がついた。キリスト教文化とは基本的に自己同定において自分そのものを否定する。キリスト自身がそういう生き方をした。これに対してわが国の儒教・仏教の基底は自己肯定だと思うが。絶対的に主人に従うという姿勢は骨の髄までしみついている。國際会議でもなかなかノーと言えない。
3.我々の身の回りを見渡すと
小生は磁気浮上が専門であったから、磁石という材料には随分てこずった。凡そ磁気学くらいよく解明されていない物理現象は珍しい。教科書には判ったようなことが書いてあるが、矛盾だらけだ。またオーロラは宇宙の磁気現象と言われているが、その解明には直角座標は役に立たず、曲線座標等を持ち出さないと進まないようだ。磁気工学で法則らしきもがあるとすれば唯一Earnshow の定理で、これは磁気のポテンシャルからのアプローチだが技術者の頭では何がなにやら判らない。
ところで「学問というものは本質的に肯定が基底」だと信ずる学者が多い。原子力安全分野の多数派は此処まで来ても中々責任を取らない。一度でも否定をしたら日本の学問は終わりだと思っているのだろうか?
NHKのドラマ「カーネーション」は家内が欠かさず見ているが、あそこで姉妹が徹底的に相互を否定する態度が面白い。あれは相違を強調することで同一になろうとする生き物の本能のような気がするが。つまり磁石ではN,S極が一対になる世界において、一つになることの前提条件とは相互に全く異質のものになることである。 政治の世界では否定論理が日常茶飯事だが、しかし否定こそが未来を切り開くというのは幻想に過ぎない。
4.少子化への嘆き
最近の男女の関係が実に疎遠になったとは良く聞くが、彼ら同士の関係は上述のセキュリティシステムに例えられるのではなかろうか。確かに女性側はよく実体の判らない男と出合った時には取りあえず「ノー」と返事をしておけば一時的には安泰でいられる。男の方もそれを心得ているから、あまり深追いはしない。つまり「やった事の努力価値(ポテンシャル)」が一切報いられないから、馬鹿らしいということになる。加えて女から出される返事も警告なのか、診断メッセージなのか判断がつかない。要するに疑心暗鬼な二人を仲介するものは何もないということになる。
戦後、科学技術振興策というものによって外部の物理世界と知識は格段に豊かになった。それに反比例して自分達の内面世界の認識はかなり曖昧になったと言えよう。それに加えて受験制度がもたらす教育内容も定型化した。このように少子化問題は育児苦労の財政的な支援も必要だが、一方ではこの男女の疎外感というものは敗戦以来ずーと積みあがってきた文化的破壊であって、その弊害がわが国の未来を危うくしている。対策には国が本腰を入れるのが前提であるが今の政界には希望が持てるのだろうか。
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