2012年1月30日月曜日

「無用の用」への目覚め~~価値の逆転は必ず起こる


1.        デフレはいずれインフレへ
今まで荘子の「無用の用」なる教訓はどこで役に立つかと思っていたが、歳を重ねるにつれ益々その絶妙な真理の深さに酔うことが多くなった。その具体的な例としては安全装置や緊急処置の様な物理的なものに留まらない。人生のあらゆる局面においてその教えの偉大さに気がつくことが多い。
 経済の世界では価値が必ず逆転する。例えば円高といっても世界中の人が全員「円貨」を所有することになれば誰もそれを欲しがらない。無いから欲しがるのである。極論を言えばデフレ時代に低迷した物の価値はいずれ逆転し、インフレ時代へ引きずり込まれる。しかしその転換は波動論に従い、時間的な遅れを生ずる。非常に緩慢に進行する波の伝播を誰も認識しないが、それは確実に変わってゆく。

別の視点より再考するに、利益最大の社会は無駄を排するから、100%有用なものだけに集中する。そこで普段使わない安全装置は外してしまえ、という暴論が起こる。現今の情報化時代というものは最先端の流行を追うから、どうしても人間の頭は「有用の用」のみに意識が集中することになる。

2.        男女の性衝動
 少年期に至れば男は自分の身体に性の衝動を感じる。が、一般にそのこと自体に非常に驚き、それを隠したり、抑制したりするのが普通である。私の場合は高校時代に「性教育」の授業を受けたが、それは医学的な側面からの教育で、宗教的な側面からのものではなかった。時代が時代であったから、教師もテレ隠しで非常に緊張していた。日本には江戸時代かの朱子学の影響が色濃く残っており、性衝動は長い人生には必要だが、昼の実社会では無用なものであると意識されている。
 従って伊半島へ留学し、性衝動を大っぴらに発露するラテン世界を見て大変驚いた。地中海世界の国々では共通してビデなるものを使うが、あれは日本の女性にも驚きの種らしい。
 しかし実際自分が齢を重ね、あと何年生きられるかと数える歳になって、自分の体のどこかに性機能がまだ少し残っていることを発見し、人間として生きていることを実感する。性は人間にとって決して邪魔な機能ではない。この辺の意識の目覚めと教育が日本では非常に遅れていると思う。
 明治の「私小説」類を読めば近代日本の目覚めが自己の性衝動との戦いから始まったことが判る。ご苦労様でしたと言いたい。しかしこの戦いはまだ終わっていない。今は震災後のショックで停滞しているが、自己の確立と宗教、哲学等々間の諸問題は人間形成にとって重要な課題である。

最後に少子化担当大臣がもう少し短いスカートで登院すれば、ガリガリに凝り固まった儒教一辺倒議員に一石を投じることになろう。これは決して冗談ではない。

3.死者は復活し、生者を結びつける
 小生は最近、同窓会や、そしてカトリック教会なるものへ足を向けない。前者にはNorm(or Form)なるものが存在しない。いつ消滅してもおかしくない。後者にはそれがあるが、人と人とを結びつける日本文化に根ざした死者が存在しない。つまり生者が生者を統合するのではなく、死者が復活してその使命を果たすのである。その意味で法事とか念仏講という日本古来のフォルムが果たす役割は大きい。

現在の産業人はあまりにも「有用の用」に目を奪われて、無用の用を忘れている。死者は確かに復活して生の人間同士の仲立ちをするのである。

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