2011年5月5日木曜日

何故原発リスクは実現したか~~乱数とπ(パイ)の神秘

1. π(パイ)と乱数
 πの話しに「しびれる」若者は一体何にしびれているのだろか?筆者は数学には素人だからπを計算する方式はいかなるものか、何故それが有効桁なのか判らない。その根源的な問いが昨夜のNHKテレビには出て来なかった。
 しかし筆者は最適制御理論を教えてきたから、乱数との付き合いは古い。初めにπの神秘性に気がついたのは外周と直径との関係ではなく、円の内部に落ちる乱数の組み合わせを数えてゆくことでπが計算できるという性質で、これも痺れる話しだった。このコンセプトはパーキンソンの法則に通じており、この世界は偶然現象がないと何事も成り立たないことをその時知った。換言すれば、「想定も想定外」もその確率を足せば1で、この世界の均質化現象はその全てを埋めてゆく。だから福島の原発で非常用電源の配置を粗末に扱っていると言う新聞記事を読んだ時は本当に恐ろしかった。

 一方、偶然という物理現象が「確定論としての物理法則」とほぼ同じ程度に重要であることを経験したのは助手時代であった。磁気浮上の信頼性実験で、漏れる筈のない冷却水が階下に流出し、高価な実験装置に実害を与えてしまった。慌てて自分の装置を改善したが、1ヶ月後また同じ様な漏洩事故を起した。これは人的ミスというような単純な話しではない。常に自分の予想を超えた形で何かが作用するようだ。

2. 科学と偶然
 偶然現象に執拗な興味を示したのは、生物学者だろう。その貴重な数冊を昔読んだことがあるが、兎にかく難解でよく判らない。しかし現実には生まれる男女の数がほぼ同数であるというのは、他のいかなる現象の中にも因果関係を求めることは出来ない。更にはフィボナッチ数というのも2~3冊の本を買ったが、これも不思議な数だ。国際会議もあり、色々な分野に顕れるこの数は多くの科学者も魅了して止まない。科学法則の多くは原因と結果との関係を解き明かすものであるが、それだけではこの世の神秘を完全に説明できないらしい。
 人間の知性は確かな実在の証しを追うものであるが、それらを追えば追うほど実在は遠ざかってゆく。ナイヤガラの滝を見た時そう思った。あの膨大な水量が地球上でポンプもなしに循環するというのは因果の法では説明できない。これが大変な逆説を生み出す。水蒸気という気象学の枠を超えた分子の働きについて思いを馳せる必要がありそうだ。


3. 人間が不滅な存在とは
 旧約聖書の知恵の書には神は人間を不滅な存在として作られたと書かれている。当然物質としての存在はいずれ終焉するが、この偶然世界での形の変容を考えなければそれを具体的にイメージするのは難しい。むしろその約束は我々の全ての期待を超えた形で成就されると解釈するのが正しくて、「霊」の存在を強調する現代諸宗教はどうも怪しい。
 最後に、現代の教育では偶然について講義するのはご法度であるが、バベルの塔や世界7不思議(5大?)の例をを持ち出すまでもなく、人為的なものはこの偶然現象の洗礼を受けていずれ塵芥に帰する。科学礼賛だけで日本文化をより良き方向へ導くことには無理があると思うが、識者はどう考えられるか。

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